草場さん主催の新年ゲームパーティーのレポートの続編です。3日目最終日、1月4日は昼頃に草場邸に到着しました。この日のメインは何といっても手本引きです。他は相変わらずナグナツさんと普段できないアブストラクトゲームをたくさん遊んで充実したゲームパーティーでした。
ヘッドバンズ Hedbanz
(説明 5分 プレイ時間 45分)
この日の最初のゲームはシンプルなパーティーゲームです。頭にプラスチック製のヘッドバンドを巻き、答えとなるカードを差し込みます。つまり自分だけはカードの内容を知らずに他のプレイヤーは全員わかっているという訳です。コヨーテやインディアンポーカーと同じシステムですね。手番になったら制限時間以内に自分のカードの内容を知る為の質問をし、他のプレイヤーはそれに答えていきます。自分のカードが当たれば次のカードを差し込んで続け、制限時間がくればまた次の手番で質問の続きを開始します。たったこれだけなのですが、非常に盛り上がりました。「生き物?」「何色?」「この部屋にある?」「千円以下で買える?」などと言った質問をするのですが、これがなかなかヒントになりません。自分のカードは「自転車」だったのですが、3巡目で漸くわかりました。他には「牛乳」「馬」「チョコレート」「ドーナツ」「UFO」などがあり、中でもストーンRさんに与えられた「口ひげ」などは当てるのは至難の業で、実際当てた人はかつていないと草場さんが言っていました。自分の向かい側のプレイヤーが「電球」だったのですが、かなり手こずっていたので、「この手のひらに乗る大きさ?」と聞かれたとき、思わず手持ちの小型の鉄製ボトルをその手のひらに乗せてしまいました(キャップの部分があまりにも電球に似ていたので)。
残念な事に何度か遊んでしまうとカードの内容がわかってしまうので面白さは半減してしまいます。まあ1年に1回くらい遊ぶというのが良いのかもしれません。
手本引き Tehonbiki
(説明 15分 プレイ時間 1時間45分)
手本引きは日本の伝統的な博打の最高峰とも言われているゲームです。手本引きのルールはインターネットにも載っているのですが、それを読んでもどこが面白いのかさっぱりわかりません。草場さんやストーンRさんに聞いても「面白いのだが、面白さを説明するのが非常に難しい」と言っていたので、これは一度遊んでみるしかない、と思っていました。そんなとき、手本引きをギャンブルでなくゲームとして遊べるように、ストーンRさんが少々アレンジしたものがあると聞いたので、前日にストーンRさんに頼んでおくと快く持ってきてくれました。ここではこのアレンジされたルールに則って説明します。
手本引きは1-6までの数当てのギャンブルです。各ラウンドでは親が1-6のうち、どれか数字を1つ選び、他のプレイヤーは、親の選んだ数がどれかを賭けるのです。賭け方には「スイチ」と呼ばれる1点賭けから、2点、3点、4点賭けまで様々です。これを10ラウンド繰り返したら次のプレイヤーが親を努め、全員が親を努めたら終了。最も多くの金額を得たプレイヤーの勝利です。
この一見単純そうな賭け事のどこが面白いのでしょうか? それは「親が自分の意志であたりの数字を決める」という点に尽きると思います。一見同じように見えるルーレットやブラックジャックでも親は当たりの数字を決めたりカードを決めたりはできません。よって完璧なまでに確率論が働くし、公正にランダムです。ところが手本引きではそうはいきません。人間の意思で完全にランダムにする事など無理なのです。この親と同じ思考になる事が手本引きで勝つ秘訣です(ストーンR談)。
この「親の意思で次の数字を決める」というシステムを際立たせる為の小道具が手本引きの中にはそこここに見られます。まずは履歴を表示する1-6までのタイル(草場さんのコメントによれば「目札」「目木」「前綱」などと呼ばれているそうです。)です。第1ラウンドの始めには左から(親から見て右から)1、2、3、4、5、6と並んでいますが、当たりの数字は一番左に置いていきます。よって親が第1ラウンドで3を選べば3、1、2、4、5、6となり、第2ラウンドで6を選べば6、3、1、2、4、5。さらに第3ラウンドで1を選べば1、6、3、2、4、5というように変わっていくのです。正確な履歴ではないのですが、一番左のタイルは直前のラウンドで選ばれた数字であり、一番右のタイルは過去5ラウンドはその数字は選ばれてないということになります。これが努めてランダムにしよう、あるいは裏をかいて同じ数字を選ぼう、あるいはその裏をかいて目立たないようにしよう、などと考える親には非常なプレッシャーとなるのです。次に数字の選び方です。ラウンドの始めに親は1-6の小さな木の板を1が上、6が下になるように重ねて持っており、親は背中でこれを見ずに当たりとする数字の木の板を選んで布の間に入れなければなりません。そして子が賭け終わって親が数字を宣言するときにも、これを見ずにまず前述したタイルを左に動かす事によって示し、次に布をみんなの前であけて照合します。このシステムによって、子が賭けてからランダムに選ぶ事はできず、賭ける前に数字を決めなければならないという、意思のシステムが確立されています。またもしも動かして宣言したタイルと選んだ木の板の数字が異なっていたら、両方とも当たりとなるという厳しいルールです。
賭け方も多彩で、子は賭けたい数字のカードを伏せて置き、脇に掛け金を置きます。1点賭けから4点賭けまであり、2点以上ではカードや掛け金の置き方で意味が変わる事があります。1点賭けは4.5倍返しなので、元本を考慮に入れると期待値5.5/6ですが、2点賭けは5.6/6、そして3点と4点賭けは5.7/6と心持ち有利になっています。
ゲーム開始です。まずは、慣れているストーンRさんが親となり場を盛り上げます。なかなか数字を当てる事ができず、マイナス88とかなりすってしまいました。続けて●山さんの親で、ここでもマイナス53。3度目で自分が親になり「やっぱりク『ニ』ツィアの2だよね」などと軽口を叩きながら、うまく他のプレイヤーの思惑をかわしていたのですが、9ラウンド目で大戻り(今まで一度も選ばれずに右端にあるタイル)の4を選ぼうと思っていたのですが、裏の裏の裏をかこうとおもって何故か2を選んでしまいました。ここでストーンRさん、●山さんはスイチ(1点賭け、倍率4.5倍)を賭けてきました。やういちさんも2点賭けです。3人とも2に張っており、さらに2点賭けしたやういちさんが賭けていたもうひとつの数字は4でした。何とも恐ろしい事です。一瞬にして吹き飛ぶ数百万・・・いやこれは玩具のお金でした。よかった。親なのにマイナス125という大ダメージでした。最後はやういちさんが親で●山さんに当てられまくって沈んでしまいました。
これはゲームなのかギャンブルなのかわかりませんが、とにかく素晴らしいです。これでゲームになるというのがすごく不思議です。カワサキファクトリーの賭博英雄伝セブンのマインドルーレットはこのアイディアを利用していると聞きました。この「親が次の当たりを選ぶ」というのは非常に面白いですね。ストーンRさんが言うように西洋のルーレットやブラックジャックとはまったく異なり、親と同じ気持ちになるのが大切と言う、日本らしい以心伝心のゲームです。ストーンRさんはこの大勝利のあと集中力を使い過ぎて疲労困憊して暫くゲームをしていませんでした。
結果
ストーンR 382、●山 200、自分 -286、やういち -296
チョコレート Scho K.O.
(プレイ時間 25分)
木さんを誘ってチョコレートを遊びました。2人用の短時間タイル置きとしては完成度の高いゲームだと思います。初めてタイルの構成を調べてみました。大切な赤丸付きのタイルは10枚あるようです。木さんにうまく攻められて10点差の大敗。
結果:木 30、自分 20
棋碁 Kigo
(プレイ時間 各30-50分)
「棋碁」は将棋と五目並べを合わせたようなゲームで、エポック社のブックゲームシリーズのひとつです。以前プレイスペース広島から買い求め、ルールは読んだことがあるのですが、どうもいい加減に考えられたキワモノ的なゲームだと思っていました。ところがこれが非常に面白い。ゲームとは遊んでみるまではわからないものです。
9x9の碁盤で2人とも20ずつの将棋の駒と同じ内容のコマを持ちます。コマを打つのは格子の交点であり、コマも円盤状になっています。ゲーム開始時にはボードにはなにも置かれていない状態から始め、手番には手駒を打つか盤上の駒を動かすかのどちらかです。こうして相手の王を取るか、または縦横斜めのいずれかで5連をつくり、それを次の相手の番で崩されなければ勝利です。なお自分の王が場に出ていないと相手の王は取れません(王手は無効となります)。また5連には自分の王が含まれていなければなりません。その他の細かいルールは以下の通りです。
敵陣は最後の3列でなく2列。敵陣には打てない。
相手の駒を取ったらその駒はゲームから除外される。つまり持ち駒という概念はない。
二歩は禁止。打ち歩詰めは禁止。
行きどころのない駒があっても良い。
草場さんの勧めで、ナグナツさんと遊んでみました。1戦目はナグナツさんが、2戦目は自分が先手でしたが、0勝2敗でした。王が出ていないと相手に王手がかけられないなどのルールが効いており、いろいろと変わった手が打てるとても面白いゲームです。駒は成る事ができますが、あえて成る為に1手番使うなら、手駒から打って5連を目指すといった不思議なバランス感覚です。
結果
1戦目:ナグナツ
2戦目:ナグナツ
ピフロッグ Pifrog
(プレイ時間 10分)
駒の取り方が変わっていて、ひとりがチェス、もうひとりがチェッカーのように動きます。うっかりと説明書を忘れてきたのでどちらが先手なのかなど細かいルールが間違っているかもしれません。ということで1ゲームだけのお試しプレイです。
結果:ナグナツ
オクトロ Oktro
(説明 5分 プレイ時間 各20-45分)
ナグナツさん持参の古いアブストラクトゲームで、このボードは自作したそうです。各自3つずつ4色の計12の駒をスタート地点に置き、相手を手詰まりにさせた方が勝ちです。ボードには斜めにグリッドが描かれており、直線上なら何マスでも進めます。ただし戻るように動かす事はできません。また相手の駒と同じマスに到着したら相手のその駒を取り除き、それ以上は進めません。ボード上には各色4つずつ、色の付いたマスがあります。ここに止まると、相手はそのマスの色の駒を動かさなければなりません。これをうまくつかって相手を陥れていくのです。こうして、例えば相手の緑の駒が無い、または緑が全く動けない状態で、自分が緑のマスを踏めば、手詰まりに追い込んだ事になり勝利となるのです。
最初は非常に古くさいゲームかと思いましたが、遊んでみると思いのほか色々な作戦が取れそうなゲームだと思いました。色付きのマスは強力なのですが、とどまっていると取られたときにその色の駒を動かさなければならず一気に劣勢になってしまいます。なんとも言えない不思議な感覚のゲームです。1戦目はナグナツさん、2戦目は自分が先手を指しましたが、0勝2敗。
結果
1戦目:ナグナツ
2戦目:ナグナツ
リンジャ Linja
(プレイ時間 各15分)
エッセンでシュテファンシュピールから購入したゲーム。ダイスを使わないバックギャモンのようなゲームで、手番は2つの部分から成り立っています。まず自分の駒をどれでも1つ前進させます。次に、その前進させた先に既にあったコマの数(敵味方両方を含むが、今前進させたものは含まない)と同じマスだけ、自分のコマを1つ前進させるのです。この結果、動かしたコマが何もコマのないマスにたどり着いたら、もう1手番できます。自分と相手のコマが相互に関わっており、なかなか面白いです。ノーコンタクトの状態になったときにコマの到達度で得点が決まります。
結果
1戦目:自分 47、ナグナツ 33
2戦目:ナグナツ 56、自分 54
棋碁 Kigo
ここでストーンRさんと棋碁を1戦。彼と1対1のアブストラクトゲームを遊ぶのは初めてです。先ほどの経験を生かして、自分は2列同時に5連の準備をしていたのですが、飛角がなく、最後はあっけなくストーンRさんの勝利となりました(写真)。悔しい。
結果:ストーンR
アッパーハンド Upper Hand
ゲームマーケットでナグナツさんに教えてもらった傑作アブストラクトゲームのアッパーハンド。今回はナグナツさんが以前プレイシングス Playthings という東京の六本木にあった店で買ったという貴重なセットを持ってきてくれました。写真だと分かりずらいのですが、透明なガラス玉はとても綺麗です。
まずは遊んでみたいと言うストーンRさんと1戦。その後ナグナツさんと3戦遊びました。最初は勘が取り戻せずに苦戦しましたが、連鎖がわかってきてからは連勝。これはやはり面白いですが、ナグナツさんの言う通り5x5では少々戦略が単調に感じます。7x7など大きなボードで遊んでみたいです。
結果
1戦目:ストーンR
2戦目:ナグナツ
3戦目:自分
4戦目:自分
カテドラル Cathedral
(プレイ時間 各7-8分)
非常に久し振りのカテドラル。大学の学部時代に購入し、よく当時のルームメイトと遊んだ懐かしい記憶が戻ってきました。今思えばそれほど戦略が広いゲームではないのですが、悪くはないと思います。ルールを少しうろ覚えで、もしかしたら間違っていたかもしれません。今回は、ナグナツさんの自作のコンポーネントです。1戦目はナグナツさん、2戦目は自分が先攻でしたが0勝2敗でした。
結果
1戦目:ナグナツ(勝利:点数不明)
2戦目:ナグナツ 5、自分 1
ラインズ オブ アクション Lines of Action
(プレイ時間 各15-25分)
チェス版と碁石を借りてナグナツさんとラインズオブアクションを遊びました。慣れるまではコマの動きを不自由と感じるかもしれませんが、慣れるととても面白いゲームです。初めてだと言うナグナツさんに惨敗。
結果
1戦目:ナグナツ
2戦目:ナグナツ
ピッグテイル Pig Tail
簡単にできるトランプゲームの傑作、ピッグテイルです。場のカードが無くなるタイミングで手札をいかにして減らしていけば良いのかというだけなのですが、これがなかなか戦略的にできています。
結果:たけ 4、草場 4、自分 6、ストーンR 24
ベリシネベリシ Verish' Ne Verish'
(プレイ時間 各20分)
子供の頃に誰もが遊ぶトランプゲームの一つにダウトがありますが、このベリシネベリシはロシア発祥のダウトのバリアントです。ダウトは一般的にはA、2、3・・・と順に出していき手札をなくすのが目的ですが、カードが減らない為に長いだけの運のゲームという印象を持っていました。むろん子供の頃に遊んだ記憶だけが残っています。ところが、このベリシネベリシは「ダウトのバリアント」で済ませてはいけないと思えるほど、全く異なったキレのある素晴らしいゲームなのです。
目的はカードをなくすこと。カードを全て配り、プレイヤーは1-3枚のカードを裏向きに伏せて「これは◯◯です」と言って次のプレイヤーに差し出します。差し出されたプレイヤーには2つの選択肢があります。ひとつは自分も同様にして1-3枚のカードを次のプレイヤーに裏向きに差し出すこと。このとき前のプレイヤーと同じ数値をいわなければなりません。もうひとつはダウトを宣言することです。ただし直前のプレイヤーの出したカードしか公開することができません。公開してひとつでもいわれた数値でないカードが混じっていたら、差し出したプレイヤーが、そうでなくすべて正しければダウトを掛けたプレイヤーが、ここまでに出ている全てのカードを引き取るのです。どちらにせよ、ダウトを掛けた次のプレイヤーが再び「これは◯◯です」と任意の数値を言って次のラウンドが始まります。
こうして手札に4枚組が揃ったらそれは全員に見せて場に置きます。以後この数値をいうことはできなくなり、ゲームは収束に向かうのです。ただしゲームの最初に1枚だけジジ抜きのように抜いておくので、どうしても4枚揃わない数値が1つはあることになるというのも面白いです。
いずれにせよ、何とも不思議な感覚のするゲームです。「キングが2枚」「キングが1枚」「キングが3枚」「じゃ、キングが2枚」とくれば、誰かは嘘を言っているのですが、ダウトをかけても見ることができるのは最後の2枚だけ。でもこの最後の2枚だけが合っていてあとの6枚は全てキングでないなどということはよくあります。
このゲームの良いところはダウトを宣言したプレイヤーは手番を失うというところです。よってときには間違っているとわかっていてもダウトを言わない方が良いこともあるのです。逆に合っているとわかっていてもダウトを言った方が良い事もあるような気がします。なんといっても一筋縄ではいかない不思議な感覚を持ったゲームです。
教えてくれた草場さんによれば、簡単に実行できる戦略があるとのことですが、自分にはわかりませんでした。あまりにも面白かったので2回続けてプレイしてしまいました。
結果
1戦目:たけ(1位)、ストーンR(2位)、草場(3位)、自分(4位)
2戦目:ストーンR(1位)、自分(2位)、草場(3位?)、たけ(4位?)
ぴっぐテン Pig 10
(プレイ時間 2ディール20分)
さて新年ゲームパーティーの最後の締めは2人で遊ぶ、ぴっぐテンデュエルです。今回初めて正式なルールで遊んだのですが、こちらの方がやはりわかりやすいかもしれません(以前はバーストしたときは出したカードは場に残ると言うようにしていた)。小気味よく何連続もぴっぐ10が決まるとそれだけで楽しいです。理想としてはカードが貯まって0の後に10を出したいのですが、0が7枚10が4枚という枚数が絶妙で、よく考えられているなあと思いました。2人でも悪くはないですが、やはり大勢で遊ぶ方が楽しいゲームだと思います。1ディール目は44対36で勝っていたのですが、2ディール目では25対55と大負け。草場さんの勝利です。
結果(2ディールの合計):草場 91、自分 69
これで新年ゲームパーティーは終了です。主催者の草場さん、一緒に遊んでくれた皆さん、ありがとうございました。
タカハシ
手本引きは学生時代に散々遊んで遊び倒したほど物凄い「ゲーム」だと思います。
ずっ~とやってると、ある瞬間に相手の次の思考が理解できる(ように感じる)ようになって、なんともいえない不思議な恍惚感にみまわれます(なんか危ない人のようですけどw)。
目安札はあってもなくても個人的には構わないかなぁ。あれば便利ですけど、ないほうが感覚が鋭くなる気もしましたね。
「手本引き」は数年前にウチのブログで紹介してから、ちょっとずつあちらこちらのサークルでプレイされているのを見るようになりました。それまではあまり表に出せない作品というイメージが強かったですが(まぁ例の御職業の方がお盛んなのでw)、もっともっと普及してもらいたい気持ちで一杯です(笑)。
ちなみにですが、関西だとサイコロで遊ぶ賽本引きが主流だとか。確かにサイコロ1つあれば(基本的に)同じ遊びが楽しめますよね^^;その辺関東の親分集はやはり見栄を張って道具に凝ったりしたのかもしれませんね。
※追伸、話題の『ピッグ10』はやはり大人数の方が楽しいんですかね?もう色んなサイトで面白い♪と評判なんで、糞ゲー認定した自分としてはすっかり立場がないのですが(笑)、実際(「ゲーム」として)何が楽しかったのか説明してくれてるサイトがほとんどないので、ますますもって何が面白い作品なのかわかりづらい不思議な作品だなぁ~という印象を深めてます。
けがわ
目安札というのは履歴を記すタイルの事でしょうか? あれがなくなると結構違うゲームになりそうな気がします。心理戦のゲームなので。
手本引きをNBGCのサイトで検索しましたが、伝統ゲームの記事しかヒットしませんでした。もしよければリンクを貼って教えて頂けますか?
賽本引きは親が出目を操れるのではない限り、手本引きとは根本的に違うゲームなのではと思います。当たりの数字を親が選ぶというのが手本引きの根源だと思いますので。
ぴっぐ10は2人でも悪くないですが大人数の方が楽しいと思います。やはりぴっぐ10と叫んで取る楽しさではないでしょうか? 6人以上だとパーティーゲームののりになるので、次は4人くらいで遊んでみたいですね。
草場純
とても詳細で臨場感溢れる報告をありがとうございます。いいゲームをやってますね。(笑)
誤植と思われる点を書いておきます。
まず手本引きの第四段落の六行目、
「前略 一番左のタイルは全ラウンドで選ばれた…後略」の『全ラウンド』は『前ラウンド』の変換違いでしょう。一番左ということは「根っこ」ですので。
それからこの「タイル」は、「目札」「目木」「前綱」などと呼ばれています。名称は地方や賭場によって異なりますが。
次にアッパーハンドの第二段落の四行目に、
「ナグナツさんの言う通り7x7では少々戦略が単調に感じます。9x9など大きなボードで遊んでみたいです。」 とありますが、
7×7は十分大きく、戦略的です。9×9は確かに非常に戦略的ですが、玉は三百個近くになり時間がかかりすぎます。従って多分ここの文意は
「ナグナツさんの言う通り5x5では少々戦略が単調に感じます。7x7など大きなボードで遊んでみたいです。」ということではないかと、推察します。
ベリシネベリシはakagiriさんによれば、ロシアの子供の遊びで、それなりにポピュラーだということです。非常によいゲームなのですが、戦略が把握しにくく、真価が理解されにくいゲームで、そういう意味で手本引きと一脈通ずるものがあります。
ルールはゲームファームにあります。しかしここを読んだだけでは、このゲームの真価は決して理解できないでしょう。ダウトと比較すると、ゲームがルールをちょっと変えただけで劇的に変化するということが納得できます。ゲームは怖いです。
タカハシ
伝統ゲームで合ってますよ。
それまでは「手本引き」を表立って紹介したとこがほとんどなかったので、当時思い切ってBESTに挙げた思い出があります。
目安札はおっしゃるタイルのことです。出目は記憶すれば良いので(ってかやっていると嫌がおうにも記憶してしまうので^^;)、個人的にはあってもなくても別にそれほど変わりません。あれば便利なんですけど、それにベッタリ頼ると、どうも外れる気がしてます(笑)。
賽本引きの賭場とかの親は、もう(技術的に!?)出目を好きなように選べるらしいので、実際手本引きと変わらないそうですが、配当とかは微妙に違うかもですね。確かに素人が壺振りで遊ぶならば、違うゲームだとは思います。まぁ別に壺振りにしなければ良いだけの話ですが・・・
ピッグ10に関して、例えば、今回のけがわさんのコメントの「0が7枚、10が4枚という構成は良くできている・・・」というコメントを見たりすると、どういう意味で「良くできている」とコメントなされているのかが未だに良く理解できないんですよね~^^;ピッグ10!と叫ぶと盛り上がるのは十分イメージできるのですが・・・
匿名
手本引きは心理的な駆け引きが肝のゲームです。
読み合いを成立させるには、各出目に対する認識が参加者全員で一致している必要があります。
例えば同じ3でも根っこの位置にあるのかそれとも大もどりの位置にあるのかで意味合いがまったく違ってきます。
そして、ここが大事なところですが、何がどの位置にあるのか参加者全員の認識が一致してそこで初めて読み合いが始まるのではないでしょうか。
ある人は3巡前に出たと思い、別の人はしばらく出ていないと思っているというように認識が食い違っていては、読み合いにはならずお互いが勝手な思い込みの元でビッドするだけになってしまうでしょう。
決して記憶が合っているかいないかではなく、参加者全員の認識が一致しているかどうかが大事なのです。
そのための目安札であり、一人一人がそれぞれ別個に記憶していたのでは心理戦が成り立ちません。
自分ひとりが記憶していればいいというのは、手本引きの本質を理解していない単なる一人よがりに過ぎないのではないでしょうか。
けがわ
>草場さん
>いいゲームをやってますね。(笑)
主催者が良かったのでしょう。主催者のゲーム選択には感謝しなければと思っているところです。
誤字の指摘などどうもありがとうございます。一応自分でも読み直すのですが、先入観があるからなのか見落としてしまいます。アッパーハンドはおっしゃる通りです。以前7x7のものをナグナツさんと遊んだのですが、あれはすごかったです。
>タカハシさん
普通のプレイヤーは賽子の出目を自由に操れないので、手本引きは偉大だと思います。
ぴっぐ10の0と10の割合は、10がそれなりに大量カード獲得を狙える強力なカードにもなっているということです。10を温存しておくか自分が打ち出しのときに使ってしまうか悩むようなバランスだと思います。
タカハシ
>なんか良くわからない名無しの人
誰も自分一人が記憶してるなんていってないのに、独りよがりな御意見ありがとう。
目安札無しなら、当然参加者全員が「記憶している」という前提でやりますよ。御指摘の状況(個々に認識が異なる)ような面子の場合は、そりゃ目安札使った方が良いでしょうけどね。
>けがわさん
おっしゃるとおり、「手本引き」は偉大な作品だと思います。親が自分で数を選ばないのは面白さ半減だと私も思います。なかなかこれを超える心理戦ゲ-ムにはお目にかかれないですね。冬にこたつで酒飲みながらガチンコで遊ぶのも、これまた粋なんですよね~♪
そっかぁ~。10はチャンスカ-ドなんですね。自分がプレイした感じではそのようなことに気がつきませんでした。この辺は何度もプレイしてみないとわからないことなんでしょうね~。
草場純
目安札について
ここでは目安札と呼ぶ人が多いようなので、私個人は以後その名で統一してみます。高橋浩徳氏の『日本伝統ゲーム大観』には、目安駒と出ています。
手本引きについては、その性格上、詳しく記述された文献が少なく、様々な伝聞があって確述することが難しいです。地方色どころか、賭場ごとに用語もいろいろなようです。一応ここまでで調べられた範囲ですが、以下のような呼称があるようなので紹介します。きっとまだあると思います。
目安札 めやすふだ
目安駒 めやすごま
目札 もくふだ
目木 めき
前綱 まいづな
阿佐田哲也の作品には、マッチ箱に花札を貼って目安札を作り、手本引きをする話が出てきます。やはり手本引きには目安札は必須の道具と思われます。出目表とはその本質が異なりますゆえ。
真偽の程は分かりませんが、かつては持っているだけで犯罪になったという手本引きの道具ですが、引き札・張り札・目安札・カミシタなどのほか、通り札、半丁札などもあります。これは親を追い詰めるのに、非常に効果があります。
タカハシ
>草場さん
私が目安札という理由は、学生時代に貼り札を目木の代わりにしていたからなんですよ^^;サークルの先輩後輩と遊びでプレイしていたので、本格的に道具立てを揃えていたわけではありませんでした(でも掛け率とかは結構細かかった記憶があります)。
目安札が必須かどうかは、一緒に遊ぶ仲間・状況によって違うと思います。賭場形式で遊ぶなら、やはり必要なのかもしれませんが、仲間同士ならお互いの技量を信頼するという条件付きで、必要ない場合もあるのではないでしょうか?少なくても私は目安札無しでも十分楽しめましたよ♪
まぁでも確かに目安札の軌跡って、なんか人間の思考が濃縮されてそうで好きなんですけどね(笑)。
草場純
>タカハシさん
>確かに目安札の軌跡って、なんか人間の思考が濃縮されてそうで
そうですね。まさしく目安札の意味は「人間の思考が濃縮されて」いるところにあると思います。
けがわ
目安札は手本引きの核心ですね。個人的には目安札を使わない手本引きというのがちょっと考えられません。
いずれにせよ、また遊んでみたいゲーム(ギャンブル?)です。
タカハシ
けがわさん
>目安札は手本引きの核心ですね。個人的には目安札を使わない手本引きというのがちょっと考えられません。
それはいちいち出目を記憶できないからということでしょうか?それとも100%相手と情報を共有しているという確信が持てなくなるからでしょうか?この辺はメンバー全員の個々の能力差のあるなしで違ってくる部分ではありますが、実際目安札を使わなくても、使っているのとほぼ同じ感覚でプレイできる場合もあります。
まぁいずれにせよ、メンバーの多くがより楽しめるのであれば目安札は絶対に使うべきものであって、その点につきましては否定しません。同様に目安札が素晴らしいシステムであることに関しても同意見です。
がしかし、状況や相手によっては目安札無しでも(有りと同じようように)楽しめるケースは存在すると私は考えてます。そのことが理解できないのか、そもそも(理解する必要がないから)理解なさらないのかについては、私には判断のしようがありませんが、もし前者であるならば少し残念に思いました。
けがわ
>それはいちいち出目を記憶できないからということでしょうか?それとも100%相手と情報を共有しているという確信が持てなくなるからでしょうか?この辺はメンバー全員の個々の能力差のあるなしで違ってくる部分ではありますが、実際目安札を使わなくても、使っているのとほぼ同じ感覚でプレイできる場合もあります。
出目を記憶できるできないという能力差の問題ではありません。100%親も子もこれまでの出目の情報を共有しているという事実が大切なのです。さらに単に出目を記録するだけでなく、どれくらい前に選ばれたものが選ばれるのかというのは記憶だけではなかなか認識するものではありません。たとえば、7ラウンド目くらいにふるつき(5番目)や大戻り(6番目)はどれかということは、記憶だけで共通認識ができるのでしょうか? 無理とは言いませんが、これが親にプレッシャーを与えていることを考えると、目安札は絶対必要なものだと思います。あえて目安札なしで遊ぶ理由が全く見つかりません。
ストーンR
こちらのデータベースでは、いつもお世話になっています。
横槍を入れるようで恐縮ですが、「手本引き」に覚えのある者として、お節介ながらコメントいたします。
「手本引き」における目安駒の存在は、親がこれまでに選んできた履歴を表示する役割があることは皆さんご承知の通りですが、それよりも、親が自分の意思で選んだ数字であることを証明する道具としての意味合いの方が重要ではないかと私は思っています。
つまり、目安駒がないと、親が自分の意思と無関係にランダムに豆札を繰ることが可能になり、子が親の心理を読むことを台無しにしかねません。
親が豆札をカミシタに入れ、子が張った後、「勝負!」となるわけですが、まず親は目安駒を動かて、自分の意思を明確に提示し、その後でカミシタ(手拭)を開いて中にある豆札を晒すことで、それを立証します。両数字が合致していなければならないわけですが、この一連の所作こそ「手本引き」の神髄と言えるのではないでしょうか。
ですから、タカハシさんの「少なくても私は目安札無しでも十分楽しめましたよ」というご意見は、「手本引き」の本質から、かけ離れているように私には感じました。無論、ゲームの楽しみ方は千差万別、多種多様であるべきだとも思っていますから、全面的に非難するものではありません。ですので、ムキにならないで下さいね。
しかし、けがわさんは、たった一度の「手本引き」のプレイで、厳禁も賭けていないのに、よくその核心を理解されましたね。いや~流石!
けがわ
>ストーンRさん
厳禁を賭けるのは現金ですよ! とこれは伏せ字だったのかな? また今度遊びましょう。
タカハシ
>けがわさん
一応、共有認識が理由ということで理解しました。「記憶だけではなかなか認識するものではありません。」という指摘があるので、100%そうなのかはなんともいえませんが、その御意見に関しては反論する部分はありません。
でも皆さんの御意見を伺っていると、無しだと遊べない!と断定しているように思えたので、無しでも十分遊べた身としては「それは違う!」と逆に断定したくなる次第です。
>ストーンRさん
「神髄」といわれると、こちらも困る部分はありますが^^;、伝統ゲームとしてはそこを重視するという点は重要だと私も思います。親がランダムに札を繰るのはたしかに興醒めなんで(まぁ実際はあまりにも読まれていると判断したときはランダムに数字を選ぶ親も多いようですけどw)、過去の履歴に縛られている(ようにみえる)のは大事な要素だといえるでしょうね。
ただそこまでガチガチに様式に拘る必要があるのかどうか、模擬のお札を用意したり、目安札も揃えたりすればたしかに雰囲気が俄然高まって良いとは思いますが、もう少しこの作品の本質「単純に数字の当て比べなのに、ここまで心理戦になるのか?」という部分に目をくれていただいても良いのかなと。
ちなみに、私は「目安札無し」が「目安札有り」と同等とか、それ以上に面白いとか言っているわけではありません。限定条件下(無しでも相手とある程度の共通認識がとれるという)での「無し」でも、作品の面白さは十分理解できたと指摘しているだけです。どうもその辺で誤解がある気がしますね。
タナカ
えーと、実は手本引きはやった事が無いので間違えてたらスンマセン。
①豆札を後ろ手で見ないで選択する。
②豆札より先に目安札で選択した数字を示し、その後豆札を開帳して答え合わせをする。
③豆と目安の数字が合ってなかったら罰則。
て事ですよね。
ここで見て色々調べたところこうじゃないかな?と思っているだけなんで間違ってるかもしれませんが、これ物凄く感心したんです。
私の友達に負けず嫌いが行き過ぎて、重要な場面になるとすぐ「見ないで選ぶわ」と言う人がいて、ルール上間違っているわけではないんですがこういう行為は凄くテンション下がるんですよね。
でもこのルールはそういう行為を見事に防止していて感動しました。
意思を持って決定せよ!とルールやコンポーネントが語りかけているようです。これぞ伝統の重みと言うか、とにかく凄い。
タカハシさんはこういう硬派でガチな雰囲気好きそうなイメージを持っていましたが、違うんですねー。
意外とゆるふわ系?>▽<
タカハシ
>タナカさん
確かに「見ないで選ぶわ」ってのは無しですよね^^;せめて黙って電話番号でも繰って欲しいものです(爆)。
ストーンRさんが示してくれた手順は、まさに、意思を持って決定せよ!が本引きの醍醐味だという証拠でもあると思います。
でもその一方で、無しは無しの楽しみが私には確かに感じられたんですよね。手本引きって、結局勝負の後でなんとでも言い訳がきくんですよ(笑)。本当にどこまで読んで数字を選んだかなんて、親も子も証明のしようがありません。それでも時には「こいつさとりか?」って思うほど当てられ続けたり、外し続けたりするのが一番の魅力だと私は感じてます。
目安札があれば、親が過去の出目に縛られるのは当然ですし、どういう思考回路で親が数字を選びそうか、はたまた子が選びそうかを全員が共通の認識下に置ける(と錯覚できる)という意味においては、とても魅力的な装置だとは思います。
しかし、そこまで目安札にこだわらなくても、私は手本引きは十分楽しめる作品だと思います。そういう意味では「ゆるふわ」かもしれませんね^^;
けがわ
タナカさん、初めまして。コメントありがとうございます。
>でもこのルールはそういう行為を見事に防止していて感動しました。
意思を持って決定せよ!とルールやコンポーネントが語りかけているようです。これぞ伝統の重みと言うか、とにかく凄い。
そうなんですよね。目安札で感心したのは、このランダム選択の禁止と過去の履歴という2つの目的を同時に達成しているところです。機会があったらタナカさんもぜひ遊んでみて下さい。
>タカハシさん
目安札なしでも遊べるとは思いますが、それは手本引きと呼べるかは微妙だというのが自分の意見です。ところで疑問に思っていたのですが、目安札なしだと、親は選んだ豆札を公開する前に、その数値を宣言するのでしょうか?
ストーンR
>タナカさん
まだ「手本引き」をやられていないのに、その本質を見抜かれているとは、素晴らしい。「なくても楽しめる」と強情なまでに張り通して、人の意見を謙虚に受け止められない、どこぞの愚者とは違いますねぇ。
是非一度「手本引き」にチャレンジしてみて下さい。
>けがわさん
私も同意見です。目安駒を使わない‥‥というのは、そもそも「手本引き」とは呼べるかどうか‥‥。心理戦が成立しなくなる危うさもそうですが、理屈というよりも、本質が全く理解できていないということなんでしょうね。
先日、その筋の人とこの件の話をしたところ、「ランダム? そりゃ、何も分らへん素人の戯言やろ」と一蹴されました。
真摯に向き合った草場さんが神様のように見えます。私にはその忍耐強さや度量を持ち合わせていません。ここに意見したことすら後悔しています。
タカハシ
>けがわさん
数値の宣言とかは特にしていなかったですね~。先に親がハンカチのようなものに札を入れて、子が賭けた後「勝負!」でそのまま公開してました(ちなみに、親はちゃんと札を見て、その中から1枚選ぶようにしてました。先輩の中で札を見ないでも繰れる人が一人いましたが、私も含め他大勢は札を見て選んでましたね^^;)。
>ストーンRさん
私はその筋の方に知り合いもおりませんし、賭場に顔を出したこともないあくまでも素人ですが、愚者ですか・・・そうですか・・・失礼ですがあなたは本職の方なのですか?
あと「ランダム?そりゃ~」って話し振りから推測するに、何か勘違いしている節が感じられるのですが、「親がランダムに札を繰る」って一体どこから来た話なんでしょうか?完全に個人の頭の中で話が完結していらっしゃるようですね(笑)。
目安札があっても、きっとテキトウに札を繰る(そん時の時計の秒針とかで数字を選んじゃうとかね)親もいますよ。もちろんそれは勝負に対して真意ではありませんが、それは後で第3者が明確に指摘できるものでもないことですし、ある意味「手本引き」は勝負をするもの同士の信頼感のもとに成り立っているゲーム(ギャンブル)だと思うのですがこの認識は間違ってますかね?
つまり、親としては「私は自分の意思でわずか6つの中から1つの数字を選びました。あなたがた子が選んでこなさそうな数字を考えに考えて選びました。当てられるものならどうぞ当ててみてください!」という気概をもってますし、子は子で親が当然そう考えているということを前提とした上で、いかにその裏をかいて的中させてやろうかと躍起になる。本来根拠が薄弱で危うい心理戦を支えている要因ってものは、このお互いの暗黙の了解にあるのではないでしょうか?
そして、私は目安札はこの信頼感をより強く感じられるツールだというふうに認識してまして、だからこそ逆にあえて既に信頼感があるもの同士であれば、別に使用しなくても勝負を楽しめる(楽しめた)ということが言いたかっただけです。
目安札がない=親がランダムに札を繰ることになるってのは、そういう信頼感がない人同士では当然起こりうる現象でしょうから、そもそもこの作品の本質に反するという意見はまさにそのとおりだと思いますけど、それは必ずしも全てのケースに当てはまることではないのではないでしょうか?
親も子も同じように目安札(履歴)を見ているからこそ、次に出てきそうな数字を予測できる。あるいは、相手がどう考えてくるかを予測できる。確かにこれこそ「手本引きの本質」=「心理戦の妙」なのでしょう。
ですから愚者の私が言っているようなことは、なかなか皆さんには理解していただけないのだとは思いますが、たとえ目安札がなくても、数回分の数字は全員頭に入ってましたから、「相手が次に何の数字を選んでくるかな?」とか、「これは読まれてるかな?」とかの心理戦び部分は十分楽しめたんですよね。かなりテンポ良く遊べもしましたし。
確かに「そんなの真の手本引きじゃねぇよ!」って言われればそうなんだとは思います。でも、「私は無しでも楽しく遊びました」っていっているだけなのに対して、わざわざ愚者呼ばわりまでする必要があるんでしょうか?
田中
手本引きって豆札見て選ぶんでしたっけ?
私は見ないで手の中でやっていましたが、宣言といい目安のことといいだいぶ違うものを手本引きだと言い張っているような気がします。
そして本人はそれに気がつかない、何故か。
ストーンR
>田中さん
おっしゃる通り、賭場において、豆札を直接見て繰るというようなことはしません。羽織を片掛けして、その袂の中で繰るか、背中に手を回して繰るようにします。ですので、ランダムに選ぶということが、そもそもできないわけです。
豆札の順序も崩してはいけません。例えば、5を選んだ場合には、5を一番上して、その下に6,1,2,3,4と続くことになります。
タカハシ
>田中さん
豆札を見る、見ないでゲ-ムの本質が変わりますか?
もし変わるというならばその理由をお聞かせください。
また、必ずしも賭場形式で遊ばないと、手本引きとはいえませんかね?だいぶ違うと言い張っているような気がするとおっしゃるのならば、どこがどう違うのかの説明をいただきたいです。
あなた方の言う「手本引きの本質」と、私の認識している「手本引きの本質」がもし違うようでしたら、陳謝いたしますので。
タカハシ
>けがわさん
人様のブログで、延々くだらない議論を続けて申し訳ございません。なにぶん愚か者ですから、平に御容赦下さい。私自身のブログへ誘導した方がよければそのように申し付けてください。
>ストーンRさん
あなたの「手本引き」に関する深い造詣には素直に頭が下がります。私自身そこまで本格的に「手本引き」を遊んだことがないので、あなたが御用意なされるような環境で「手本引き」を遊べたらどんなに興奮するかと思います。伝統ゲームで伝統を重んじるのは当然のことですし、作法も含めて1つの作品とおっしゃる意見に対しては、私は何一つ反論できません。
私が大学生のときにこのゲームに出会ったのは先輩の紹介がきっかけでした。最初は遊び半分ではじめたのですが、メンバー同士がとても気に入ったので、ジュースやタバコを賭けて何度も何度も遊んだ覚えがあります。
当時私たちの手元には(豆札を含めて)貼り札が4組しかありませんでした。従って、3人までならその内の1つを目安札にできるのですが、4人の場合は必然的に無しで遊ぶのが定番となりました。
また前述の見ないで札を繰れる人っていうのが、色々詳しくて、本当なら親が見ないで選んだ豆札は目安札と一致してないといけないとか、そういうことももろもろ教えてくれたのですが、他の先輩方は面倒くさがりというか見ないでやるとしょっちゅう間違うとかで、最初からまぁ別に見ても見なくても別にいいよと、様式には全然拘らない感じで遊んでいました。
すると、不思議なことにあるとき貼り札がなくても貼り札があるときと同じように楽しめるようになりました。おそらくメンバーが無しの状況に慣れたことや、ランダムに札を選ぶような真似を誰もしなかったりしたことがその要因なのかもしれません。この作品のミソ=相手の思考の裏をかこうっていう部分に関しては、特に目安札があってもなくても、私はさほど変わり無く楽しめました。
私はこの作品の本質は「気配の探りあい」にあると思ってます。つまりは「親が次に何の数字を選びそうなのか?」、「子がどの数字を狙ってくるか?」を如何に感じ取るか。この辺りはストーンRさんがけがわさんに伝授した「親と同じ思考になるのが勝つ秘訣」っていう部分とは少し違うかもしれません。
親がどういう思考をしたのかを探るのはもちろん重要なことだとは思うのですが、私がなぜこのようにこの作品を捉えているかといいますと、あるとき先輩に「お前はある数字を選ぶときに自分じゃ気が付かない傷(クセ)がある」って指摘されたからなんです。「他の数字はよくわからないけど、とにかくその数字のときは何か分かっちゃうんだよな。1つ傷があると、選ぶ方はだいぶ楽になるんだぜ?」という恐ろしくも的確な指摘は、それ以降「自分の思考どうこうよりも、とにかく相手に悟られないようにする」という方向に考えをシフトさせられました。
それ以降、自分が子のときは目安札や頭の中の履歴を追って親の思考をトレースするよりも、むしろ親のクセみたいなものを見るようになりました。「ん?なんか今4を選んだような気がする」。そういう直感みたいなものに身を委ねるような感じですね。
このような遊び方は本来の「手本引き」の遊び方とはもしかしたら違うのかもしれません。ですので目安札無しでも楽しんだなんていう私はきっと邪道なのでしょう。草場さんがおっしゃってくださったように、「人間の思考が濃縮されて」いる目安札を外す意味がわからない!これはまさに正論だと思います。振り返ってみたときに、この人はこういう風に思考したんだな、という生々しさ。ある種の悲哀のようなものがそこには確実にあると思うからです。
ですから、私は目安札を外して遊びましょう!とかいうつもりは全くありません。それこそがこの作品の醍醐味なんじゃないですか?まさしくそのとおりだと思います。
でも自分自身の経験を振り替えってみて、目安札無しでも楽しめた記憶は消しようがありません。あれは一体何だったのか?、必ずしも正当な楽しみ方では無かったのかもしれませんけど、私(達)は十分この作品に秘められた魅力を共有していたつもりです。もしそれが間違っているというのであれば、どこがどう間違っているのか、是非とも見識ある皆さんに御教授いただきたいです。
田中
アメリカ人:私は日本の寿司を食べた。
アメリカ人:アボカド・マヨネーズ・白ゴマとても旨かった。
日本人:それは日本の寿司じゃない
アメリカ人:生の魚も使ってたよ
日本人:だからと言って日本の寿司じゃない
アメリカ人:でも、ちゃんと丸められたライスに乗ってたよ
日本人:丸められたライス?
アメリカ人:アジア人が握ってたよ
日本人:それは日本の寿司じゃない
アメリカ人:でも寿司って丸めたライスに生の魚をのせた料理なんでしょ。
日本人:それは日本の寿司じゃない
この話って例え話にするなら、こういう話ですよね?
タカハシ
>田中さん
スミマセンが、例えが良く分かりません・・・。
同じ「寿司」だけど、全然中身は違うよね?という意味でしょうか?
できれば分かりやすく説明してくださいませんか?
どうして目安札ありが寿司で、無しが寿司もどきなのか?その理由が是非知りたいです。それとも単にチャチャを入れたいだけなんですか?
匿名
できれば理解できない事を自慢げに話さないで欲しいのですが。
チャチャを入れているのではなく
普通に話しているだけなのです。
寿司の話に関しては寿司検定でぐぐれば詳細が判ります。
今回寿司の話を出したその意味は
「要素が同じなら同じものだということはない」
ただそれだけの事を言っているだけです。
相手の思考を読み対応する手を打つだけならじゃんけんでも同じです。
いくつかの要素に肉付けして出来上がったものを見て。
肉をそぎ落として要素だけで語るのはナンセンスです。
まさにライスに生魚の切り身を乗せたものが寿司だというような。
個人的には、一定の所作を入れる事は相手の行動を制限し余計な動作を強いるので読み合いという面においてとても良いことだと思います。
タカハシ
>たぶん田中さん
ナンセンスなんですかね?肉をそぎ落として要素を語るのもありじゃないですか?何度も言いますけど、別に私は目安札無しが「手本引き」だ!と言っているわけじゃないんですよ?
目安札が取り除かれることで失われるものがあると思います。皆さんが躍起になっているところから察するに、おそらくそれはとても重要なものなんだと思います。
それは一体何?、本質的にゲームが変わってしまうものなの?
っていうのが問いなのですから、要素を語るのは重要じゃないでしょうか?
>個人的には、一定の所作を入れる事は相手の行動を制限し余計な動作を強いるので読み合いという面においてとても良いことだと思います。
なるほどと思いました。余計な動作の中にこそ、クセみたいなものが現れるということでしょうか。
田中
なら良いんじゃないですか。
手本引きを参考にした別ゲームをプレイしてましたで。
あんまり長文を連打すると荒らしみたいですから。
その辺で落としておくのが吉かと。
タカハシ
>田中さん
まぁ亜流を遊んでいたという指摘は認めますよ。
でもその亜流って、「手本引き」とは呼べない完全に別ゲームなの?って部分はどうしても残りますね^^;それをいってしまうと「じゃあ実際リアルにお金賭けてないのはどうなの?」って話にもなりそうですし・・・できれば避けたい部分でもありました。
「コイツちゃんと手順踏んで遊んでたわけじゃないのに、何知ったかぶりしてんだ?」っていうのはまさにそのとおりなんでしょうけど(正確には目安札ありもなしも遊んでいたので少しニュアンスは微妙ですが)、本質が分かっていない愚か者ってまで言われてしまったので、では是非その本質ってのを教えてくださいよとムキになってしまいましたね。
田中さんの最後の指摘は本当に素晴らしいと思いました。まさに伝統の所作にはちゃんと意味があるよ!って指摘ですよね。これを見て、学生時代に面倒くさがらず見ないで札を繰るようにすれば良かったなぁ~と後悔しました(そん時は先輩からただ教えられたとおりに遊んでいたので気にも留めてませんでした)><
最後に、悪あがきみたいになるかもしれませんが、「手本引き」は面白い!ということだけは強調させてください。
それはお金を賭けなくても、(私は)目安札を設けなくても感じられるほどの面白さだったと思います。実際にお金を賭けるのは法律に反するのでアレですが、是非たくさんの人に親しんでもらいたい伝統ゲームだと思います。ストーンRさんのように、できる限り伝統に近い形でアレンジしてくださる方がもっと増えたら良いのになぁ~と思います。お目汚し失礼、けがわさんゴメンネ^^;
匿名
rssで購読している者です。横からすみません。
なにやら必死な人がいますが、反応が嬉しいだけなのでどんなに相手しても終わりは無いでしょう。不毛なので放置するのが良いと思いますよ。
主張があるかたはご自分でページなりブログを用意してそこで考えを発表すればよいかと思います。
けがわ
なんだか議論が盛り上がっていますね。意見を書いてくれた方、ありがとうございます。
>タカハシさん
>人様のブログで、延々くだらない議論を続けて申し訳ございません。なにぶん愚か者ですから、平に御容赦下さい。私自身のブログへ誘導した方がよければそのように申し付けてください。
こちらは全然構いませんよ。好きに書き込んで下さい。
>数値の宣言とかは特にしていなかったですね~。先に親がハンカチのようなものに札を入れて、子が賭けた後「勝負!」でそのまま公開してました(ちなみに、親はちゃんと札を見て、その中から1枚選ぶようにしてました。先輩の中で札を見ないでも繰れる人が一人いましたが、私も含め他大勢は札を見て選んでましたね^^;)。
いちおう見て選んだとのことですが、この方法だと見ないで選んでも全く問題がないですね。見ずに選んで、ハンカチに入れ、公開したときに親が初めて自分が選んだ札を知るということがあっても、まったく問題が無い訳ですよね。
皆さんも書いていますが、目安札のシステムの素晴らしいところは、これをルール的に封じているところです。目安札を使わないのならば、少なくともハンカチを公開する前に選んだ札を宣言しないと、手本引きの本質からかなりずれてしまうと思いますよ。
タカハシ
>けがわさん
御配慮ありがとうございます。
今回は色んな方にお叱りを受けて、色々と反省すべきことが多いことに気が付きました。
目安札は親がランダムに札を選ぶことをルール(システム)的に封じている。これは確かに素晴らしい機能ですよね。
なんでしょう?元々は手本引きってのは「片一方が意思を持って6つの数字中から1つを選んで、片一方がそれを当てるだけのゲームなのに凄く面白い」ってのをシンプルに伝えたかったのですが、説明が下手なのと認識不足が重なって、どうも上手くいかなかったみたいですね。
目安札が無い=片一方が意思を持って選んだことを証明できない、っていういわば当たり前ことに関しても変に勘違いしてました(少なくても私達はいわゆる紳士協定に基づいて別に証明する必要は無いっていう信頼の元で「目安札無し」で遊んでいたので、そういうとこまでは至りませんでした。確かにこの方法ではどこまでいってもランダム選択の疑念は晴れないわけで、当然興ざめとおっしゃる方もおられるでしょうね)。