クニツィアへの個人的インタビュー2010

KniziaInterview123.jpg
(この記事は2010年10月24日のドイツ・エッセンでの個人的インタビューの録音からなるべく忠実に翻訳したものです。
関連記事:エッセンシュピール2010



自分:では、早速質問を始めましょう。もうどのくらいのあいだ、あなたはゲームデザイナーなのでしょうか?

クニツィア:難しい質問ですね。自分は人生の中でずっとゲームを遊んでいます。10歳の時に最初のゲームを作りました。なぜなら自分はボードゲームショップが1つしかない小さな町で育ち、さらにお小遣いもあまり持っていなかったからです。なので自分のゲームを作りました。それからずっと趣味として続け、そして20年ほど前にそれを仕事とすることに決めたのです。

自分:出版したゲームは幾つあるのでしょうか?

クニツィア:それもまた難しい質問ですね。どうやって数えたら良いものやら。おそらく500くらいでしょう。でも例えば数える時に「バトルライン」と「ショッテントッテン」の場合には「バトルライン」に追加されたルールがあるからと言って別々に数えるでしょうか、或いは同じとみなすのでしょうか? 500から800の間のいずれかの数はすべて正しいと言えるでしょう。

自分:なぜゲームをデザインするのでしょうか?

クニツィア:それはゲームを遊ぶのが好きであり、また作るのも好きだからです。

自分:実際にたくさんのゲームを遊びますか?

クニツィア:ゲームの開発にあたっては多くのプレイテストが必要なことはわかりますよね。楽しさというのは計算できないものですから、たくさんの実験とプレイテストがゲームをより良くするのです。なので素晴らしいゲームを作るためにプレイテストをたくさんします。私は素晴らしいゲームを作りたいのです。なので毎日プレイします。フェア(エッセンシュピール)の期間中にはしませんが、他の人たちがプレイしていますね。私たちはフェアの間はプレイする時間がありません。でも明日の夜はプレイに戻る予定です。でも遊ぶのは開発中のゲームが殆どです。なぜなら多くのゲームを開発しているので、他のデザイナーのゲームを遊ぶ時間は殆どないのです。

自分:あなた自身の古いゲームを遊ぶ時間はあるのでしょうか?

クニツィア:あまりないですね。プロモーションなどで、私と遊びたいという人がいる時などには、いわゆる昔の名作と呼ばれるものなどを遊ぶことがあります。しかしゲームを遊ばないということは有利な点もあります。つまり私が他の解決方法を知らないことによって、自分自身の解決方法を自力で発見することになるからです。もしあなたが異なるゲームで使われる解決方法を知っていたならば、あなた自身の独創的な発想にたどりつくことはとても難しいです。でももし知らなければ、自分でやらなければならないのです。

自分:ゲームデザイナーとしての生活を描写してくれますか? あなたは朝とても早く起きると聞いていますが。

クニツィア:典型的なゲームデザイナーは朝の4時に起きます。

自分:典型的? あなただけでは?

クニツィア:そうですね、他のデザイナーは違うかもしれません。

自分:朝の4時? もうどれくらいそういう生活なのでしょうか?

クニツィア:生まれてからずっとそうだったわけではないですよ。他のスタイルだったこともありますが、学生だった頃からそうでしたね。朝の3時には起きていました。

自分:なるほど、早起きなのですね。

クニツィア:そうですね。朝はとてもいい気分だし自分の感性も鋭いです。。そして電話も何もないのがとても良いです。ただ座っていることができる。だれもオフィスにいる自分を邪魔しません。ゲームのデザインについてだけ考えることができます。そしてもちろん毎日の仕事があります。昼近くからから午後にかけては、主に仕事の商談を行います。秘書のカレンが捌いてくれる、たくさんのEメールでは契約や承諾などが含まれます。他にも多くの仕事があります。たくさんのオファー、そしてフェアでどんなゲームを発表するか、どのゲームが発表するべきゲームなのか、どの出版社がカードゲームを欲しがっていて、そのときどのカードゲームを発表するのか? そういったことがたくさんあります。電子ゲームもあるし、とにかくたくさんです。夕方になると、プレイに戻ります。夜にはたくさんの人が来てプレイし、週末や土曜の朝にもたくさん来ます。そう、とてもたくさんのプレイが行われます。つまり、朝は静かに、日中は仕事、そして夜はプレイテスト、と言う感じですね。

自分:なるほど。では何時間くらい眠るのでしょうか? ちょっと興味があります。

クニツィア:だいたい夜の10時頃には寝ます。そして朝の4時に起きます。

自分:では、6時間は眠るのですね。

クニツィア:はい。

自分:あなたは職業としてゲームデザイナーになってから、自分のライフスタイルが変わったと思いますか? 確か1999年辺りだったと思いますが。

クニツィア:1997年です。

自分:その1997年に以前の仕事を辞めてプロフェッショナルとしてゲームデザイナーになったということですね。何が大きな変化だったのでしょうか?

クニツィア:何が大きな変化だったのか。それはおそらく、私はもう働いていないということでしょうね。つまり、金融業界は近年ではあまり良いイメージではないですよね。なので金融業界から抜け出したのはある意味で良いことだったと思います。また私は新しいゲーム業界を楽しみました。なぜならそれはまったく異なるものだからです。以前、私は会社で300人をマネージメントする立場にありました。とても興味深く、やり甲斐があったのですが、自分の時間がまったくありませんでした。なぜなら、大きな仕事のためにオフィスに行かなくてはならないので、朝と夜だけしかゲームができないのです。なので仕事を辞めてから、今はたくさんの時間があります。いや、違いますね、やはり時間はありません。しかしより多くのゲームができます。そしてゲームはより自分を豊かにします。なぜなら面白さと楽しさを人々にもたらすことができるからです。だから私はこの仕事が好きなのです。

自分:ゲームデザイナーを本業としてからの最初のゲームは何ですか?

クニツィア:「ラー」です。本業としてから最初に出版したゲームではなくて最初にデザインしたゲームですが。

自分:なるほど、素晴らしいです。実は自分はラーのプロトタイプを持っています。エッセンである人が売ってくれたのです。プロトタイプを見るのはとても興味深いですね。

クニツィア:その通り、とても希少です。

自分:ファラオタイルのスコアリングシステムが今とは少し異なりますね。最も少ないプレイヤーにはマイナス2点でなくマイナス3点になっています。

クニツィア:そうそう。

自分:わかるように、自分はマニアかもしれません。オーケー。あなたについての質問を続けます。あなたは自分以外に好きなデザイナーはいますか? 例えば、自分が尊敬する誰かというような。

クニツィア:私にはこうなりたいというアイドルのような人はいません。自分自身のやり方を見つけなければならないからです。しかし私は、ゲーム業界でのいわば古くからの巨匠である2人、シド・サクソンとアレックス・ランドルフをとても尊敬しています。つまり2人のパイオニアです。彼らの時代では、ゲームデザイナーとして名前をあげるのはとても大変だったと思います。今は業界も大きくなりました。でも彼らの時代ではそうではなかったのです。彼らはこの世界で最初の杭を打ったのです。

自分:彼らのゲームであなたの好きなものをあげてくれますか?

クニツィア:アレックス・ランドルフの「ツイクスト」はとても良いですね。それとシド・サクソンの「アクワイア」ですね。もう何年も遊んでいます。これら2つのゲームが際立っています。もちろん他にもたくさんのゲームがあり、どれがより優れているかというのは難しい問題ですけれどね。

自分:それに関連した質問があります。あなた自身のゲームについてです。難しい質問だということは分かっていますが、自分が作ったゲームで一番好きなものは何でしょうか? 日本の雑誌「ゲームリンク」ではあなたは「頭脳絶好調(インジーニアス)」だと答えていますが、どうでしょうか?

クニツィア:それはイエスでもノーでもあります。自分にはひとつだけ特別なゲームというのはありません。なぜならば、ゲームをデザインするにあたって、私はゲームを土台として捉えますが、ゲームの根底にあるインターアクションは他のプレイヤーによるからです。つまり、他のプレイヤーは常にゲームの新しい要素です。すなわち、誰と一緒に遊ぶかによるのです。私が両親と一緒に遊ぶものは、フリークやベルリンの友達 ―― 彼とは毎年スペインで会ってチェスをするのですが ―― と遊ぶのではとても異なったゲームとなります。だから色々な人と遊ぶのは別のゲームになります。このような意味で、わたしにとって完全にナンバーワンのゲームというのは存在しません。

自分:それはとてもフェアですね。

クニツィア:つまり、私の一番好きなゲームは今私が開発しているものだということです。

KniziaInterview044.jpg自分:それは最良の答えだと思います。さて、他の人があなたにこの質問をしたことがあるかどうかはわかりませんが、あなたのかつて最悪のゲームというのはなんでしょうか? つまり出版しなければ良かったと思うようなものです。

クニツィア:私はたくさんの悪いゲームを作りましたが、それらは未出版です。

自分:ひとつやふたつ、ないでしょうか? ゲームの名前まで言う必要はないですが。

クニツィア:まず、私は自分に対してとても厳しいです。つまり、テストグループでゲームを試遊しているとき、よく彼らは「このゲームは完璧だ、素晴らしい」と言いますが、自分はゲームの要素のどこかが気に入らなくて満足でないとします。そういうゲームは出版されないでしょう。もし私が良いと思っても他の方が良くないといえば出版されないこともあります。そのときは私はゲームでなくその人を嫌いになりますがね。これは冗談ですよ。しかし、私は自分が嫌いな、または満足していないゲームを出版することはありません。どうしてそんなことをする必要があるのでしょうか? 私は既にたくさんのゲームを出版しているので、それは何の役にも立ちません。もちろんそこにはその時代という要因があります。そう、もし私が自分の昔のゲームをみて「オーケー、あの時代では良いゲームだったけど」と思ったりね。でも現在そのゲームを出版する、あるいはリメイクするならばいくつかのことを変えるでしょうね。「オーケー、今日はちょっと違うようにやってみようか」と。なぜなら現在ではより短いプレイ時間でのより大きな展開が必要だからです。しかし、これらの調整はゲームが悪かったという意味ではないのです。そのゲームにおいて現代が悪い時代だということです。そのゲームが出た時代には合っていたのです。現在では時代が違うかもしれませんからね。それが私が思うこの質問に対するベストな答えです。

自分:わかりました。それでは、あなたがゲームを出版するとき、たくさんの人々が、あるいは少しの人々しかゲームを好きにならないかもしれませんよね。あなたが思うに過大評価、あるいは過小評価されているゲームはあるでしょうか? 例えば、あまり人気が出なかったけれども、もっと多くの人に受け入れられるべきだ、というような。

クニツィア:これはとても良い質問ですね。なぜなら映画産業と同様に、世に出るまでは、それがどのくらい成功するかというのはわからないからです。私は、それほど多くを期待しているわけではないのですが、例えば「ロストシティ」というゲームがありますね。これを出版するには苦難が伴いました。誰もこのゲームを欲しなかったのです。

自分:え!?

クニツィア:そう、その通り。誰も欲しがらなかった。コスモスが拒否し、そして他の出版社も同様に拒否しました。それで最後にコスモスに戻り告げたのです。「これは良いゲームなので、あなたは出版しなければならない」とね。そして最後には彼らを説得して出版にこぎつけたのです。そして現在では、これは多くの人に愛されとても大きな成功を収めています。そう、だからゲームがどういう評価を得るかは誰にもわからないのです。他のゲームで過小評価されていると思うものには、例えば言ってみれば「パラッツォ」があります。出版されたが、あまり一般の目に留まらなかった。そして、それは単に知られていないだけなのか、あるいは不幸なことに他の同時期に出版された大きなゲームの影に隠れてしまっているのか、それはわかりません。成功するゲームもあるしそうでないゲームもある。もし再販したら、ときにそれは再びヒットになるかもしれません。ゲームのそれ自体では測れない多種多様な影響があるのです。だからリストを見てひとつひとつ、これはもっと評価されてもいいのではと言うこともできるわけですね。

自分:なるほど「パラッツォ」のようにですね。

クニツィア:そう「パラッツォ」は短時間で良いゲームだと思ったのですがね。

自分:自分は好きですよ。

クニツィア:でもあまり認知されなかった。

自分:あなたの典型的なデザインとはかなり異なるものだと思います。でも良いゲームですね。では次に、あなたは、特に最近、昔のゲームのリメイクを数多くしてますよね? その中でリメイクによって非常に良くなったと思うものはありますか? つまりどれがベストなリメイクでしょうか? システム的に、という意味ですが。

クニツィア:あなたの言うように、我々が暫くの間したことは、いくつかの強いブランドを振り返ってみたことです。ハスブロは「モノポリー」を作り毎年10くらいの新しい「モノポリー」を出版してとても成功しています。また「モノポリー」のファンもたくさんいます。なので我々の強いブランドを見て「同じようなことが我々のやり方でできないだろうか?」と。あなたも知っているように、「メディチ」からは「ストロッツィ」と「メディチ対ストロッツィ」が、「チグリスユーフラテス」では新しいボードやそれに合わせたルールを、そして「サムライ」ではカードゲームを、「ラー」ではダイスゲームや第2の「ラー」を(つまり「ラー」と同じシステムを用いて全く新しいゲームを作る)というようにです。私はそれらのゲームを作ることを楽しみ、またたくさんのファンがいるこれらの人気ブランドでは、ファンはブランドをもう一度楽しむことができるという魅力があります。そして私はこのプロセスは成功したと思っています。もちろんやり過ぎはよくありません。少しの限られたゲームに対してだけです。もちろんすべてのゲームに対してこういったプロセスをすることはできると思いますが、それはやり過ぎというものですね。それらはとても良く、そしてわたしは本当に好きです。おそらく同様のことを「砂漠を越えて」にも行うべきかと思います。なぜなら自分のお気に入りの一つだからです。しかし「砂漠を越えて」に対して、拡張や第2のゲームを作るのは簡単ではありません。なのでまだ手付かずです。このひとつが現在、欠けていますね。

自分:それはあなたの将来の計画の一つでしょうか?

クニツィア:そうかもしれません。将来もし良い考えが浮かべばです。まだ良い考えが浮かばないしこれらのプロセスをただやるためにやっているわけではありません。なので時期を待っているのです。自分が言いたいことはこれだけではありません。自分は幾つかのゲームに触れましたよね。例えば「チグリスユーフラテス」だと、自宅には第2の「チグリスユーフラテス」のデザインがありますが、まだきちんと機能するか分かりません。

自分:なるほど。

クニツィア:まだまだたくさんのゲームがあり、幾つかをきちんと見なければなりません。人気のあるブランドは生き残るので、それらのゲームはちゃんと目を掛けられるべきなのです。

自分:なるほど、よくわかります。それでは、もうすこしあなたのゲームデザインについて一般的な質問をします。あなたのデザインにいえることは、最小限のルールや、それはとても美しいものですが、個人攻撃無しにプレイヤーインターアクションを喚起するシステムなどだと思います。それはとても素晴らしいです。なので私はあなたのゲームをとても好きになったのです。それに、あなたのゲームは集団心理をうまく利用したものがあり、特別な質を持っていると思います。他にも、たとえば手札のあるゲームでは枚数制限がなかったり、など特徴的です。またプレイ時間も最高でも稀に90分、通常は45分から1時間程度ですよね。これらはあなたのゲームデザインの根底みたいな気がします。他にもこういった気にかけている基本原則はあるのでしょうか? ゲームはこうあるべきだ、というような。

クニツィア:それぞれのデザインには固有の筆跡のようなスタイルがあります。なのでそれらの基本原則はおそらく無意識なのではと思います。しかし、あなたは正しいです。私は科学者ですからね。

自分:あなたは数学者ですよね。

クニツィア:そうです。なので幾つかの基本原則を持っていたいです。リッチなゲームというのは、主に多種多様なプレイヤーそのものに誘導されるものではないでしょうか。私はプレイヤーにゲームプレイでの十分な選択肢を与えます。なぜなら、プレイヤーにとっては決まりきったことをやるよりもずっと挑戦しがいがあり、興奮できるからです。そう、プレイヤーが関与できるということが私の鍵となる基本原則のひとつです。私はゲームにおいて、多くの管理を要求されるけれど実はプレイはしていない、というのは好みません。人々はときに、ゲーム中にずっとやっているのことは用具を動かして管理しているだけで、実際にはゲームをしていないんだ、ということに気が付かないものです。わかるでしょう。

自分:ああ、そうですね。なんというか慣例的な手続きを辿っているだけというか。

クニツィア:その通りです。しかし私は手続きを簡単にしてゲームにのめり込みたいのです。それはとても私にとって大切です。そしてその上で、多くの豊かな選択肢があることも重要になるのです。ゲーム中にただ座っているだけでもう何もすることがない、なんていうのは駄目です。私は豊富な選択肢にあふれた刺激的な生活をしたいし、ゲームの中でもそれを見たいのです。先ほど「砂漠を越えて」の話をしましたよね。このゲームでは、常にたくさんするべきことがあります。ここにもここにも、ここにだってコマを置きたい、ってね。これは自分にとって良いゲームという証です。「おお、こんなにたくさんすべきことがあるのに、こんなに手番が少ないなんて!」ということです。そう、これは私の大切にする基本原則です。そしてあなたが言うように、今日の忙しい世の中では、よりダイナミックでそれなりに短いプレイ時間のゲーム、それに少ないルールが必要です。人々がゲームに集中できるようにね。

自分:それはそうですね。先ほどあなたは数学者だと言いました。今度は数学の話を少ししましょう。実は自分も数学を学んでいます。

KniziaInterview103.jpgクニツィア:数学の何を学んでいるのですか?

自分:組み合わせ理論です。

クニツィア:組み合わせ理論。それは自分もとても好きですしゲームにも向いてますね。

自分:そうかな、そうかもしれません。自分はその中のマトロイド理論というものをやっています、ご存知かもしれませんが。代数とグラフ理論を融合させたようなものです。それもあってゲームというのは自分にはとても魅力的です。離散数学みたいな部分がありますからね。手短にゲームと数学の違いについて話して頂けますか? これらは似ている部分も多いと思います、特にあなたのようなデザインだと。

クニツィア:そうですね。ゲームデザインというものは幾つかの別の視点があります。ゲームを作るのに数学者になる必要はありません。数学的な道具は助けになるでしょう。なぜなら数学は論理的思考であり、ゲームのシステムを解析できるからです。数学で大切なことはモデルをつくることであり、ゲームは数学的モデルです。なので数学は有用です。でもまた「自分の強みが弱みにならないように注意せよ」という言葉がありますよね。もし私がゲームを数学のように扱ったら成功しないでしょう。なぜならそれらは異なるものだからです。数学とは明確な理論と証明と研究ですが、ゲームは世界のモデルではありません。ゲームとは根本的には楽しみです。ゲームは人々のインターアクション、そして楽しみや喜びの土台なのです。これら2つはとても異なる世界のものです。なので強みを活かして数学的なゲームを作るのではダメなのです。強みを活かしてどこで数学的な道具を使うことを止めるかを理解しなければならないし、そこからは別のことをしなければなりません。

自分:なるほど。何人かのデザイナーは数学的アイデアを取り入れようとしますが、失敗も多いですよね。自分はそう見ています。なので根本的な違いが両者にはあるのですね。あなたがさっき言ったように、楽しみという要素は計るのが難しいものだと思います。そして数学には、明確なゴールがあります。理論が正しいか間違いかだけが問題になります。しかしゲームデザインにはゴールはありませんよね。もっと良くしようと思えばできるかもしれない、なので(これら2つは)とても異なりますね。ところで、ゲームバランスを計算するために数学を用いることはありますか? またプログラムを組んでシミュレートすることはあるでしょうか?

クニツィア:滅多にすることはありませんね。きちんと計算をすることは稀です。しかし自分は数学的なマインドを持っているので、自動的に解析して深く見ようとします。いくつかのゲームではコンピューターをつかってシミュレーションをしますが、それもとても稀なケースです。通常はパズルに対してだけですね。もちろん電子ゲームではこういうことはしますよ。ラップトップコンピューターをシミュレーションに使います。

自分:有名なゲームではそういう数学的プログラムを使ったものはありますか?

クニツィア:大がかりなボードゲームでそういうことはしたことがありません。私は「ダイスゲーム大全集」でダイスについてはたくさんの解析をしました。そこではたくさんのモデルをつくりあげ新しい解法もあります、それらは以前には書かれていなかったものです。ダイスについての完全なる解法、つまりタクティカルなヒントやプレイの指針についてを確率論に則って書いたのです。これを書くのは大変でした。それから、大がかりなハイブリッドなゲーム、たとえばラベンスバーガーの「誰だったでしょう」などでは完全なモデルを作りあげました。物理的なシミュレーションは複雑すぎるし、また原始的すぎますからラップトップを使ったモデルが必要なわけです。そして私はそういうことをやってくれるプログラムを持っています。

自分:それは是非遊びたいですね。残念なことにドイツ語もフランス語も分かりません、それに確かまだドイツ語とフランス語のエディションしか出ていなかったと思います。

クニツィア:現時点ではそうですね。もしかしたらオランダ語もあるかもしれませんが、それが助けになるかどうかは分かりません。

自分:私は英語と日本語しかできません。そう、あなたはゲームをデザインするとき、どこから始めるのでしょうか? どうやってあなた自身を啓発するのでしょうか? 自分が読んだ話では、あなたは屋根裏部屋にいって、そこにある色々なものを啓発の材料とするというようなことがあったと思いますが、これは大昔の話なのでしょうか?

クニツィア:それは正しい話ではないですね。

自分:なるほど、そうでしたか。

クニツィア:我々は多くのゲームを開発します。私自身もです。私の周りにはたくさんのとても創造的な人がいます。彼らはゲームに対してたくさん貢献してくれます。それを踏まえて私が学んだことは、そう、ゲームを作るにあたって固定した方法をとることは良くないということです。例えば「これが良いゲームを作るため私がやらなければならない20の方法だ」というように。もしそういうことをすれば、いつも同じようなゲームしか生まれないでしょう。なので私は新たな出発点、そう、何か新しいものを探しているのです。なぜならそれによって何か斬新なものを作れるチャンスが大きくなるからです。なので「(人生について)書きたいなら、まず生きなければならない」とヘミングウエイも言うように、私も世界に目を開かなければなりません。なぜならゲームは我々の世界の投影だからです。なので、もし新しく使うことのできるテクノロジーや新しいキャラクターやテレビのライセンスやマテリアルがあるなら、そしてたくさんの科学、テクノロジー、技術は進化するし、そこから吸収してゲームの中に用いることができるものも多く、それはやってできないことはないのです。そう、たくさんの興味深いものがあります。ちゃんと見ようとするならば。

自分:なるほど。あなたは自分を啓発するために特別なことをしますか? 例えば、どこかに散歩をしたり博物館に行ったりするのでしょうか?

クニツィア:自然は素晴らしいです。電話も何も邪魔するものがありません。時々、ウインザーの公園に行き、自分自身に話しかけるので、他の人は自分のことをおかしな人と思うかもしれません。自分に良い考えがあるときは特にね。

自分:なるほど。そうやってデザインの合間に休憩をとるということでもあるわけですね。

クニツィア:そうそう。

自分:どうやって自分のデザインが完成したと感じるのでしょうか?

クニツィア:あるゲームをプレイするときには、集中的に異なったグループでプレイします。月曜のグループ、火曜のグループ、木曜、金曜、というようにね。なので、ゲームを異なった角度から見ます。そして私はあまり影響を及ぼさないようにし、人々の反応を見ます。そのあと毎回討論してルールを変えていきます。そして我々がゲームに満足しどうやってルールを変えたら良いかもうわからなくなったら、そのゲームを数週間寝かせます。そしてもう一度新鮮な気持ちでプレイするのです。そのときにまだ完璧だと思えば、完成です。

自分:なるほど、それが一つの方法なわけですね。

クニツィア:そうですね。

自分:少し寝かせてからもう一度テストする、と。

クニツィア:そう。

自分:それは納得がいきますね。ではゲームを作るのにどのくらいの時間がかかりますか? そして同時に幾つのゲームを作っているのでしょうか?

クニツィア:どのくらい時間がかかるかというのはとても難しい問題です。小さなゲームならときには2、3ヶ月で完成します。しかし大きなゲームは半年、9ヶ月、ときには1年から1年半もかかります。そしてそのゲームだけを開発しているわけではありません。ゲームは自然に熟さなければならないからです。なのでたくさんのゲームを遊びます。そう、たくさんのゲームを同時に作るからです。家にはたくさんの引き出しがあり、それぞれの引き出しにはひとつのゲームデザインが入っています。だいたい50から60の引き出しがありますが、同時に60ものゲームを開発することはできません。なので通常は、そうだいたい片手に収まるくらいの数を同時にやっています。夜には2つから4つの異なるゲームをしますから。これらを遊びます。20ものゲームを遊べないし、選択しなければなりません。いろいろとやりたいことはあるなかで、最も見込みがあるものをやるわけですね。これは良い選択のプロセスです。そのプロセスがされないゲームはそれほど良くないということになり、これ以上デベロップする必要がないわけです。

自分:なるほど、では普段は3つか4つといったところでしょうか?

クニツィア:3、4、5、6くらいです。

自分:3、4、5、6を同時ですか。なるほど、なるほど。ではデザインの中で長く時間がかかったものを覚えていますか?

クニツィア:はい。「モダンアート」はとても長い時間がかかりました。

自分:なるほど。あなたのベストゲームの1つだったし、今でもそうだと思います。

クニツィア:これには何年もかかりました。なぜなら私はまず、小さな1ラウンドだけのゲームから始めたのです。そしてそれをデベロップしていき、ハンスイムグリュックと話しました。彼らはたくさんの貢献をしています。そして漸く今の形になったのです。また「誰だったでしょう」も長い時間がかかりました。数年はかかりましたね。でも私はやって良かったと思っています。なぜならとても成功しているゲームだからです。残念ながら言語依存がありますがね。

自分:ゲームを開発するにあたって、あなたのプロセスは加算でしょうか減算でしょうか? つまりあなたは大きなものから初めて削っていくのでしょうか?

KniziaInterview108.jpgクニツィア:大きなコングロマリットから初めて削っていく方が自分には容易に思えるし、科学的なアプローチだと思います。単純化と合理化をして。あとから付け足すというのはときには大変ですが、これもやったことがあります。しかし、削っていく方が易しい。これは言ってみれば最初にたくさんのリサーチをし、たくさんのアイディアが必要なわけです。そこから削ってスムースに合理化するわけですね。

自分:なるほど。あなたはまずテーマからゲームを始めると言うことを聞いています。多くの人は賛成しないかもしれませんけどね。では、メカニクスから始めたというゲームはありますか? 最初に面白いメカニクスを見つけて、あとからテーマをつけたというのはあるでしょうか? あるいはそういうことは起こらないのでしょうか?

クニツィア:いや、そういうこともありますよ。「深海に眠る財宝 Die Schatztaucher」というゲームがあります。ブラックライトを使ったやつです。「このライトで何ができるだろうか? どんなメカニクスが可能だろうか?」という所からこのゲームは始まったのです。このゲームにはタイルがありますが、タイルは2面でなく3面になります。それが例えば、始まりなわけですね。もしあなたがエレクトロニクスでなにかするならば、それはメカニクスからと言えるでしょう。そう、なので我々が使う新しいものからは、そういうことが起こります。しかし、通常はテーマなのです。でもテーマはモデル化されてすごく合理化されます。なのでときには人々はテーマに気が付かないことが多いのです。そして私自身はテーマについて深く考え、ゲームの中でのそれぞれの意味をわかっているのですが、あまりに合理化されすぎてしまい、ときにはテーマとの関連を見過ごす人が多いのです。

自分:なるほど、とても興味深いです。そう、ひとつだけ数学に関する質問に戻っても良いでしょうか? ひとつ聞き忘れました。あなたは、何というか、ルールを可能な限りシンプルにし、また自然なものにしますよね? 気付いていますが。例えば「ロストシティ」では手札は8枚だし20点のボーナスを得るための枚数も8枚です。「ポイズン」では各スートは14枚で14でバーストするというように、14が魔法の数です。小さなカードゲームでは特に各ゲームに対して1つの魔法の数があるように思えます。これは偶然でしょうか? 或はきちんと考えて人々にルールを簡単に覚えやすくしているということですよね?

クニツィア:これには2つのことが関連しています。ひとつは、私は数の美しさがとても好きだと言うことです。しかしそれを作り上げるというのは馬鹿げていますしナンセンスです。なぜなら、どんな数字だって良いということになるからです。しかし、あなたが言うように、1つ言えることは、例えばもし、カードが5色あって、5種類の数字があるなら、私はおそらく手札枚数を5枚にすることを考えるでしょう。なぜならそれはゲームに良き調和を生み出すからです。もちろん覚えるのも易しくなります。私にとってこれらのことはゲームをよくまとまったものにしているのです。適当に選んだものではなく、そして自分は適当なゲームを作ろうとはしていません。どちらかというとなぜ物事がこのようでなければならないかという宇宙のようなもののなかでの理由を見つけようとしているのです。これは少々行き過ぎに感じるかもしれませんが、自分にとって好ましいことです。

自分:例えば「カッツェンジャマーブルース」では、手札は6枚から始まりますよね。それは理由があることのように思えます。何故ならばこうすれば最低でもペアが1組できるしそれをビッドすることができるからです。こんな風にすべてのルールは何かしらの理由があるように見受けられます。多くのデザイナーは適当な数を選ぶでしょう。例えば、5とか10とか。あなたのようなこういったデザインを生み出すというのは美しいことだと思います。

クニツィア:どうもありがとう。

自分:それでは、あなたはゲームのためのお気に入りのグラフィックアートデザイナーはいますか?

クニツィア:いませんね。なぜならそれはゲームそのもののスタイルに依るところが大きいからです。異なったゲームは異なったアートが必要です、そしてそれを1人のアーティストだけを使って、彼はすべてできる、というわけにはいかないのです。なのでそれぞれについて良いと思えるデザイナーを選び、また「オーケー、彼はどういうアートを描き、どういうスタイルならできるのだろうか」と考えるわけです。人によって、とてもソフトタッチだったり、力強かったりとさまざまですから、ゲームによって適応することが必要なのです。

自分:なるほど。個人的なお気に入りというのはいないのでしょうか?

クニツィア:指輪物語の数々のゲームでのジョン・ハウは素晴らしかったです。彼はこういうことのマスターですからね。我々はゲームがメカニズムとグラフィックの統一感を得るために、一緒にこの大変な仕事をやりとげました。とても良い体験でした。

自分:それは素晴らしいですね。私はジョン・ハウのポスターを持っています。とても良いです。自分は特に「指輪物語」のファンというわけではないのですが、ストーリーもあまり知らないし、でもゲームは凄く好きです。多くの人はストーリーを知らなければゲームが楽しめないと思っていますが、私はいつも、それは違う、ストーリーを知らなくてもゲームは楽しめるし、ゲームからストーリーが学べる、と言います。いまでも協力ゲームのなかではベストのひとつだと思います。

自分:ではお気に入りの出版社はあるでしょうか?

クニツィア:同様に、そういったものはありませんが、出版社からはいろいろなことを期待しています。いくつかの出版社とは一緒に働くこともあります。出版社には私が自分の仕事をこなすように、彼らの仕事をきちんとするということを期待しています。私はゲームをデザインし、作り上げ、プロトタイプを持っていきます。これが私の仕事です。完璧なプロトタイプだと私が思うものを持っていくことがです。ルールは明確で完全であること、そして私はグラフィックなどがどのようになるべきかという明確なアイディアがあります。自分自身では描きませんが。そして出版社にはゲームを紹介するための良い仕事をして欲しいです。これをきちんとできれば、ゲームを出版してその面倒を見るには十分に力強いでしょう。混沌とした出版社は、返事をしないし、あまり重要でないことばかりする、そして変更について私たちに話さない、決断をしない、質の悪い間違いのある製品を作る、など私が望んでることではないことをします。私は出版社を求めており、それには大きさは関係ありません。良い仕事をし、ゲームに対して真摯であればよいのです。私は出版社のやるべき仕事をやりたくはありませんし、出版社のミスの尻拭いや、出版社が書いた悪いルールの書き直しややり直しをするのはごめんです。また彼らが悪いルールのまま出版して悪い評判が立ったりね。私は良い仕事をするから、彼らにも良い出版をして欲しいのです。これらは2つの異なる役割だしどちらも必要ですからね。そしてどちらもが良い仕事をしてやっと良いゲームができるのです。それが理想とするところです。そして、私は小さな出版社も好きです。小さな出版社はときに大きな情熱がゲームに対してあります。かれらはゲームにまつわる様々な面倒をとても良く見てくれますし、彼らには失敗は許されないことも多いので、良い仕事をしてくれることも多いのです。大きな会社はときにはゲームを作ってから「これはあまりよくない」と投げ捨てることができます。小さな出版社はプロモーションもするし色々なケアもしてくれます。ゲームにより近いからです。なのでいつも小さな出版社と仕事をするのは喜ばしいことだと思っています。

自分:なるほど、なるほど。次の質問にももう答えてもらえたようですね。なぜあなたはたくさんの出版社からゲームを出すのか、つまり普通はデザイナーはひとつかふたつの出版社からしかゲームを出版しないからです。

クニツィア:私にはとてもたくさんのデザインがあり、同様にそれらは異なる出版社に向いています。すべてのデザインをひとつの出版社ができることはありません。なので、そう、私はたくさんの出版社と関わっているのです。なぜなら、そうすることによって、わたしの様々なデザインを出版することが可能になるからです。私はひとつの出版社に縛られたくはありません。それは自分の創造性を制限することにもなります。つまり「オーケー、ここでは何が必要なんだ?」ってね。それは私をひとつのカテゴリーに押し込むことになりますが、私はもっと幅広くありたいのです。近年はiPhoneでたくさんのことをしましたし、同様のことは今もこれからも起こるでしょう。そう、それは新しい分野だと言うことです。我々のしている幅広いことをすべてカバーできる出版社はありません。

自分:出版社はルールを変える権利が少しあると聞きましたが、それは本当でしょうか?

クニツィア:ライセンスや契約の中に、私の許可が必要だという一文があります。それなしにルールは変更できないとね。でも、これはいつもギブアンドテイク(互譲)です。このことを法的にきちんと書くことはできません。それよりもわれわれが一緒にわかりあって働くことの方が大切です。もし出版社と良い関係ならば、自然に問題は討論するだろうし、また正しい解決方法をみつけ、出版社はゲームに対して大きく貢献してくれるでしょう。しかし私は気をつけなければなりません。私の名前が書かれていますからね。あまりにもゲームに変更が加えられて、私が自分のゲームだと認識できなくなるようでは困ります。そういったことはありますが、私は出版社が経済的なリスクを背負っていることも理解しなくてはなりません。なので出版社も、ゲームに対していろいろと口出しできることを知る必要があるのです。なのでこれはギブアンドテイクだというわけです。

自分:特にバージニアで確か3年前にお会いした時に、あたなに「バベルの塔」とその特殊カードについて尋ねました。そのとき、あの特殊カードはあなたのデザインなのかという質問に対し、あなたは「そうではないよ」と言いましたよね。思うに、多くの人はあのカードを入れずに遊ぶことを好みます。それは結局良いアイディアではなかったように思えます。そういう観点から、出版社がどれだけの権利を持っているのかに興味が湧いたのです。

KniziaInterview148.jpgクニツィア:私はハンスイムグリュックとはとても近い関係にあります。このゲームについては我々は二つの全く別の道を歩もうとしていました。ハンスイムグリュックはよりシンプルな方へ、そして私はよりゲーマーズゲームへ、というようにです。そして私はこういう結論に達しました。お互いにすべての点で妥協して中間点を採るのは良くないとね。なぜなら、それでは何も良い結果が得られないからです。そう、わたしはどちらかの方法にするべきだと思いました。そして、私はハンスイムグリュックに対し、より洗練されたゲーマーズゲームにすると説得できなかったので「オーケー、あなたが主導権を握って下さい。幾つかの変更を導入してみてください。あなた方にはたくさんの経験があります。たくさんの成功したゲームを作っています。」と言ったのです。そう、彼らにやらせてみた。その結果、こういう結果になった。なので、現時点であなたが見ているのは、ハンスムグリュックの手が加えられて影響されたものなのです。そして私のオリジナル版をいずれ出版する機会がくるかもしれません。

自分:おお、それは是非見たいものです。

クニツィア:オリジナルのプロトタイプはまだ引き出しに眠っています。大きな変更点もあります。元になる原理は同じですけどね。なので、いつかオリジナルのゲームを出版する機会がくるかもしれません。

自分:おお、実はこのゲームは自分がとても好きなゲームの一つです。もう40回以上遊びました。では次に将来についてです。現在はどんなゲームをデザインしているのでしょうか? そして、将来の計画は? 少し話して頂けますか?

クニツィア:これは2つの側面があります。1つ目はどんなタイプのゲームをやりたいか、ということです。自分は常に新たな挑戦に興奮します。なのでもし新しいテクノロジー、マーケットがあれば、これらがゲームに対する動機になります。それらはデベロップを経てゲームの一部になるのです。2つ目は、新しいマーケットやテリトリーが存在するかどうかということです。現在はiPhoneやアンドロイド、そして将来はWin Phoneへとすすんでいくでしょう。これは一つのゲームのテリトリーで自分は気に入っています。なぜなら、これは良いデバイスだし、とても安価にゲームの体験と楽しさを持ち運べるからです。さらに、日本のような別の意味でのテリトリーもあります。あなたは日本人ですよね。私はいくつかのテリトリーを開拓したいです。日本では私はとても少しの契約しかありません。そして日本で出版社を探すのは大変なことです。しかし私は興味があるし、これからの1、2年の間でもっと調べてみたいことでもあります。日本で出版社を探せるでしょうか? 韓国では出版社がいました。しかし現在、韓国のマーケットは少々難しいです。あとは自分のことがあまり知られていない国々ですね。ゲームは輸入されていますが、私は地元の出版社と仕事がしたいです。なぜなら、彼らは地元のマーケットを理解しているし、現地の言語での現地版を出版してくれるからです。それは私が目指すところで、日本はもちろん、地元の出版社を探すべき国のリストに含まれています。もしかして、彼らの方から自分にアプローチしてくるかもしれませんけれどね。こればっかりはわかりません。

自分:なるほど、ぜひあなたの手助けがしたいですね。もし何かできることがあるのなら。

クニツィア:もし、インタビューの中で触れられるのならばそれは助けになります。人々が聞いていてくれるかもしれませんから。出版社は何も恐れることはありません。つまり私は大きな出版社だけではなく、小さな出版社とも一緒に働くからです。お互いの方針を話し合い、それによって私はたくさんのゲームを供給できるでしょう。

自分:新しいゲームについてですが、過去2年ほどで大きなシステムが生まれましたよね。例えばワーカープレースメントやドミニオンのようなデッキ構築といったようなものですが、そういうことはしていますか? つまり、私が言いたいのは、あなたはそういうことをするつもりでしょうか? そもそもそういったシステムには興味がないのでしょうか? なぜこんなことを聞いたかというと、以前あなたはこのような、例えばトレーディングカードといったシステムを元にして、「ブルームーン」のような素晴らしいゲームを作っているからです。なので、私はあなたがワーカープレイスメントやデッキ構築から、なにかを作り出すのではないかと興味があるのです。

クニツィア:私の興味は自分固有のシステムを作り上げていくことです。ときどき私は他のものに啓発されることがあります。「ブルームーン」を見ればわかるように。またファンタジーフライトからの「ロードシリーズ」である「スカラベロード」「ミノタウルスロード」などもそうですね。これらは本当の意味でのトレーディングカードではありませんが、そういった雰囲気を多分に持っています。でももっとずっとシンプルです。なのでデッキを実際に構築せず、固定されたデッキで楽しむという、これらのゲームはより一般大衆への市場を意識したものです。なのでいくつかの要素を用いて、それに自分の個性のようなものを与えたいのです。単に「オーケー、ドミニオンっぽいのや、ワーカープレースメントをやる必要があるな」と言うのは、自分にはどうもわかりません。そんな必要はありませんよね。自分自身のアイディアを発展させれば良いのだし、ときにはこういった(システムの流用の)方向に行ったとしても、自分の筆跡を残したゲームになるでしょう。単にこれがマーケットに出たこのシステムの20番目のゲームだというだけではなくね。

自分:ということは、将来は自分のやり方でこれらのシステムを用いたゲームを出すかもしれないということですね。

クニツィア:その通り。

自分:それは是非見てみたいです。実は私はこの2つのシステムがあまり好きではないのです。しかし同様に以前はトレーディングカードも好きではありませんでしたが、「ブルームーン」 はとても気に入りました。なので、あなたのバージョンのこういったシステムのゲームは見てみたいのです。あと他のシステムではトリックテイクがあります。あなたは今までに1つか2つしか作っていませんよね。「綱渡り」とか。なのでこれにも興味があります。自分はトリックテイクがとても好きなので。

クニツィア:問題は、新しいゲームを作り始める時に、自分のゲームをはっきりと際立つものにしたいということです。単にこの種のよくあるゲームというのではなくね。世の中には多くのトリックテイクが出回っています。そのなかには素晴らしいものもたくさんあります。そんな中で自分たちのものを際立たせるのは簡単ではありません。私は世に出ているトリックテイクよりも劣るものは作りたくありません。そして、飛び抜けて良いものを作るのは簡単ではないのです。また、出版社に持って行くのもあまり簡単ではありません。なぜなら多くの出版社は「ああ、トリックテイクね。もういっぱいあるし必要ないですね。これじゃあ差別化ができませんよ」と言われてしまうでしょう。あともし私が何かするとすれば、それが好きだというだけではなく、斬新で発明的であるということを、少し覚えていてください。またリーズナブルに出版できるか、または困難を伴うかというのも大切なところです。なぜなら最高のゲームがあっても出版できなければなにもならないからです。

自分:あなたはゲームデザインは芸術だと思いますか?

クニツィア:そうです、これは芸術です。手続きを踏んでいるだけではないですから。

自分:将来、他のプレイヤーゲームデザイナーを育てるということに興味はありますか?

KniziaInterview131.jpgクニツィア:我々は、いや私は、たくさんの他の人々と関わります。たくさんの仕事をするセバスチャン・ブリーズデールは賢いです。彼は彼自身のデザインをし、出版も幾つかしています。そして私は自分自身を先生だとは思いません。なぜなら、彼は先生など要らないからです。彼はとても良い。我々は多くを話し合います。そして色々なことを一緒にやる中でお互いに学びあっているのです。

自分:なるほど。最後の質問は、そう、自分は日本人ですが、あなたが日本のデザイナーやゲームについてもし何か体験があるならば聞きたいと思います。日本のデザイナーのゲームを遊んだことはありますか?

クニツィア:かなりたくさんのゲームをみてみました。そして彼らは独自のスタイルを持っていることに感銘を受けました。自分が好きなのは、それぞれの国が、特に日本はそうですが、ゲームを見た時に「ああ、これが日本だ」と思えることです。そしてそれは良いことだと思います。なぜなら、グローバリゼーションは決してゲームに対して貢献しているわけではないからです。だから地域を意識するのは大切です。日本は独自のスタイルがあるし、時にはとてもユニークなテーマを持っています。また、ゲームのシステムを見ると、日本のものはときに間接的で、より長期的だと感じます。それは、碁とチェスの違いのようなものです。チェスでは単に駒を取る、というところを、碁はとても間接的なのです。これらの形式をみると人々についても学べると思います。それが私が日本のゲームデザインが好きな理由です。とても異なるし、それがまた良い。際立つものがあって私は好きなのです。

自分:最近では、どの日本のゲームを遊んだのでしょうか? 何か印象に残るゲームはありましたか?

クニツィア:名前は覚えていません。なにせ日本語だったのでね。でもそれはカードゲームでしたよ。

自分:それはリサイクルのゲームでしたか?

クニツィア:いや、違います。

自分:あなたは日本のクニツィアファンに対してのメッセージはありますか? これが本当に最後の質問です。

クニツィア:私は日本のたくさんの人々が私のゲームを好んでくれて嬉しいです。そして、それを楽しんでくれている。それが私にとって、最大の褒美です。私は彼らに楽しんで欲しいし、たくさんのゲームが日本に行って欲しい、そして多分、直接出版されて欲しい。つまりきちんと翻訳されて、日本の出版社から出版されるということです。しかし、私はもっとたくさんのことができるし、より多くの喜びを人々にもたらすことができます。私のゲームを愛してくれてありがとう。そしてこれからの将来のゲームを楽しんでください。

自分:どうもありがとうございました。



=============================


InterviewGifts.jpg諸処の事情により、掲載予定から2年以上も遅れてしまったことをお詫びします。インタビュー時に写真撮影を行い、それらの写真を提供してくださったヴァイスさんに感謝します。

(左はインタビュー時に頂いたお土産)

SHARE